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浦和地方裁判所 昭和58年(ワ)1074号 判決

原告

山村和房

山村はつ

右両名訴訟代理人弁護士

高木壮八郎

斎藤雅弘

被告

後藤修吾

東京海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役

松多昭三

右両名訴訟代理人弁護士

田中登

被告

興亜火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

穂苅實

右訴訟代理人弁護士

北村一夫

主文

一  被告後藤修吾は、原告ら各自に対し、金九一〇万二二七五円及びこれに対する昭和五七年一月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告興亜火災海上保険株式会社は、原告ら各自に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和五八年一一月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告東京海上火災保険株式会社は、原告らの被告後藤修吾に対する本判決が確定したときは、原告ら各自に対し、金九一〇万二二七五円及びこれに対する昭和五七年一月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告らの被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用は、原告らと被告興亜火災海上保険株式会社との間に生じたものは被告興亜火災海上保険株式会社の負担とし、原告らと被告後藤修吾、同東京海上火災保険株式会社との間に生じたものはこれを一〇分し、その六を原告らの負担とし、その余を同被告らの負担とする。

六  この判決は、第一ないし第三項、第五項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告後藤修吾は、原告ら各自に対し、金二六二二万九〇三一円及びこれに対する昭和五七年一月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告興亜火災海上保険株式会社は、原告ら各自に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和五七年一月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告東京海上火災保険株式会社は、原告らの被告後藤修吾に対する本判決が確定したときは、原告ら各自に対し、金二六二二万九〇三一円及びこれに対する昭和五七年一月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事故(以下「本件事故」という。)の発生

(一) 日時 昭和五七年一月二日

午後二時一〇分頃

(二) 場所 埼玉県戸田市上戸田一丁目二番二号先一七号国道交差点

(三) 加害車両及び運転者 加害車両は被告後藤修吾(以下「被告後藤」という。)所有の普通乗用自動車(大宮五五に八三〇五)であり、右加害車両の運転者は被告後藤であつた。

(四) 事故の態様

被告後藤は、前記日時に前記加害車両を運転して、前記事故現場付近を戸田橋方面より浦和方面に向かい進行して来て、前記事故現場交差点を左折進行しようとしたが、その際、被告後藤運転車両のすぐ左側方を併進し同交差点を直進しようとしていた訴外山村充義(以下「充義」という。)運転の自動二輪車の右後部に自車左前部を衝突させた。その衝撃のため右自動二輪車は道路左側縁石に乗り上げ、運転していた充義は運転席から飛び出して同交差点角の電柱に頭部から衝突し、次の内容の傷害を受けた。

(五) 傷害の内容

充義は、本件事故により、頭部外傷(脳内血腫、脳挫傷)、左鎖骨骨折、両膝部挫傷の各傷害を受けた。

(六) 充義の死亡

充義は、昭和五七年一二月二七日午前九時三〇分頃、自宅物置裏で縊首により死亡した。

2  被告後藤の責任

被告後藤は本件事故当時加害車両を自己のため運行の用に供していた者であり、本件事故はその運行によつて生じたものであるから、自動車損害賠償保障法第三条に基づきこれによつて生じた損害を賠償する責任がある。

3  本件事故と充義の死亡との因果関係

充義が本件事故により受けた傷害は、鎖骨骨折や両膝部挫傷もあつたが、その主要な傷害は脳梁と大脳半球間の血腫及び脳挫傷という頭部外傷であつた。

充義が脳に受けた損傷は、重篤かつ広範囲のものであつたので発現した症状も相当重度のもので、その後の治療によるも右上下肢の不全麻痺、右半身の感覚低下、記憶障害、言語障害、右動眼神経麻痺・両滑車神経麻痺による複視、斜視、右瞳孔の中等度散大等の顕著かつ重い後遺障害が残つた。

そして充義は、本件事故によつて受けた前記のとおりの脳の損傷とその呈する症状からすれば、その後遺障害による肉体的、精神的苦痛のために抑うつ的な状態がさらに昂進し、自殺した当時には外傷性精神症(うつ病)であつたといえるし、また仮にそうでないとしても充義が本件事故によつて蒙つた脳の損傷により、少なくとも右のとおりの自殺の志向を生み出させ、またはその自殺の志向を抑止する精神的能力を減殺された状態にあつたといえるから、このことのみからしても、本件事故と自殺(死亡)との間の相当因果関係は認められる。

4  損害

(一) 充義は本件事故によつて受けた前記各傷害により次のとおり入通院を余儀なくされた。

(1) 入院

(イ) 戸田中央総合病院 昭和五七年一月二日

(ロ) 大宮赤十字病院(脳外科) 昭和五七年一月二日から同年四月一〇日まで九九日間

(ハ) 鹿教湯病院 昭和五七年四月一二日から同年七月三日まで八三日間

(2) 通院

(イ) 大宮赤十字病院(眼科) 昭和五七年四月一一日から同年一〇月三〇日まで二〇三日間のうち実治療日数五日通院

(ロ) 大宮赤十字病院(脳外科) 昭和五七年七月六日から同年一一月三〇日まで一四八日間のうち実治療日数一三日通院

(ハ) 岡村病院 昭和五七年八月一二日通院

(二) その結果、充義は次の損害を蒙つた。

(1) 治療費

(イ) 戸田中央総合病院

八万七六八二円

(ロ) 大宮赤十字病院(脳外科)但し、レントゲンフィルムコピー代を含む。

五〇〇万二五二〇円

(ハ) 大宮赤十字病院(眼科)

三万八四六〇円

(ニ) 鹿教湯病院

二〇四万二五四〇円

(ホ) 岡村病院

一万八〇〇〇円

以上合計

七一八万九二〇二円

(2) 入院雑費

入院日数合計一八二日

日額 八〇〇円

合計 一四万五六〇〇円

(3) 付添看護料

(イ) 大宮赤十字病院 昭和五七年一月二日から同年四月一〇日までの九九日間のうち家族による付添九八日、家政婦による付添一日

(ロ) 鹿教湯病院 昭和五七年四月一二日から同年五月六日までの二五日間家族による付添

(ハ) 付添看護料

家族による付添 三五〇〇円(日額)×一二四日=四三万四〇〇〇円

家政婦付添費用 六九八五円

合計 四四万〇九八五円

(4) 交通費

(イ) 充義入通院交通費

鹿教湯病院入退院 ガソリン代

一万一四七八円

大宮赤十字病院通院 バス代

三八四〇円

岡村病院通院 バス及び電車代

一〇六〇円

(ロ) 家族付添交通費

大宮赤十字病院 タクシー代

一四六〇円

バス代 二万三〇四〇円

ガソリン代 一万五九一二円

鹿教湯病院 バス及び電車代

五万一〇九〇円

岡村病院 バス及び電車代

二一二〇円

(ハ) 交通費合計 一一万〇二七〇円

(5) 逸失利益

四三四九万三八六六円

充義は、死亡当時二二歳であつて、本件事故により死亡しなければ、六七歳までの四五年間稼働可能であり、昭和五九年度賃金センサスの男子大学卒業者平均給与額の年収四八九万四一〇〇円を基礎として、生活費として五割を控除し、さらにライプニッツ計算方法により年五分の割合による中間利息を控除した逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり、四三四九万三八六六円となる。

4,894,000円×17,774×0.5=43,493,866円

なお、充義は本件事故当時大学在学中であつたが、就労の意思、能力、時間的余裕を有していたし、現にアルバイト等で学資、生活費を得ていたものであるから、逸失利益の計算においては就労可能年数を充義の死亡時から起算しても何ら不合理はない。

すなわち、充義は、本件事故当時、早稲田大学第二文学部二学年に在学し、事故にあうまでは真面目に講義にも出ていた。右第二文学部はいわゆる夜間部であり、講義のほとんどが、夕刻より行われるものであつたため、充義は夜間勉学に励む一方昼間の時間帯をアルバイト等で学資及び生活費を得るために使つたり、また身体障害者のためのボランティア活動のために使つたりしていた。

(6) 慰藉料  一五〇〇万円

充義は、本件事故当時、早稲田大学第二文学部二学年に在籍する健康明朗な男子であつた。

充義は本件事故により脳内血腫、脳挫傷等の重傷を受け意識不明のまま戸田中央総合病院に運ばれ、その日のうちに大宮赤十字病院に移され、幸い一命はとり止めたものの、その後四〇日間も意識不明が続いた。意識を回復した後も右半身の麻痺、記憶障害、言語障害、視覚障害等の後遺症が残り、苦痛と苦悩の毎日を送り、最後には苦痛に耐えられず自殺する事態となつたものであるから、その精神的苦痛は極めて大きい。

充義の精神的苦痛を慰藉するためには、入通院慰藉料として三〇〇万円、後遺症及び死亡による慰藉料として一二〇〇万円が相当である。

(7) 原告らの相続

原告両名は、充義の父母であり、充義には他に相続人はいない。従つて、原告両名は、充義の蒙つた損害賠償請求権を二分の一宛相続した。

(8) 原告各自は、充義の葬儀費四〇万二五〇七円の半額二〇万一二五三円を支出した。

(9) 損害の填補

充義は、生前被告東京海上火災保険株式会社(以下「被告東京海上」という。)から七三二万四三六七円の支払を受けた。

さらに、原告各自は、被告興亜火災保険株式会社(以下「被告興亜火災」という。)からそれぞれ五〇〇万円宛の支払を受けた。

(10) 弁護士費用

原告らは、本件事故による損害賠償の大部分の支払を受けられず、原告代理人ら弁護士に依頼して本訴を提起せざるを得なかつたものであるから、左のとおりの弁護士費用は本件事故による損害である。

原告山村和房関係 一五〇万円

原告山村はつ関係 一五〇万円

(11) 損害額合計

五二四五万八〇六三円

従つて原告山村和房及び同山村はつは被告後藤に対し、右損害につき二分の一ずつの二六二二万九〇三一円の損害賠償請求権をそれぞれ有する。

(12) 仮りに、本件事故と充義の死亡との間に因果関係が認められなかつたとしても、充義は死亡の場合と同等の精神的苦痛を受け、さらに労働能力を全く喪失してしまつたのであるから、慰藉料及び逸失利益については前記(5)、(6)記載の逸失利益及び慰藉料と同額の損害を蒙つた。

すなわち、充義は本件事故により蒙つた脳の損傷(脳中血腫、脳挫傷)の結果、両滑車神経麻痺という視神経の異常が治癒されずに残り、右半身の麻痺、感覚の低下、言語障害、記憶障害、右瞳孔の中等度散大及び下転障害のための複視という重大かつ改善の望めない身体的並びに精神的機能の後遺障害が発現し、そのために、日常生活も一人では満足に送れず、終身就労することが不能といいうる状態になつていた。

従つて、充義の右後遺障害は、少なくとも後遺障害等級表第三級には該当するものであり、その労働能力は全く失われたというべきである。

また、充義は、本件事故により、生死の境をさまよう重傷を負い、前記後遺障害が残り、右後遺障害による肉体的、精神的苦痛に耐えかねて、自ら命を断たざるを得なかつたのであるから、充義の受けた精神的苦痛は死亡の場合に比肩しうべきものであつた。

従つて、慰藉料としては、入通院慰藉料として三〇〇万円、後遺症慰藉料として一二〇〇万円の合計一五〇〇万円が相当である。

ところで、不法行為に基づく損害賠償請求権は、加害行為によつて損害(身体障害の場合は「受傷」)が発生したその時に発生するものであるから、右損害の賠償はこの発生時点でなされるべきものである。

従つて、被害者が損害(受傷)を受けてから後の後発的事情(例えば自殺)は逸失利益を算定する上で考慮すべき事情とはならないというべきである。

また、逸失利益とは、本来当該被害者の労働能力の商品的価値(価格)の喪失あるいは減少を問題にすべきであり、いわゆる労働能力喪失率は右価値(価格)の金銭的評価のひとつの手段にすぎないから、損害(受傷)の発生と同時に、後の症状固定時点における労働能力の商品的価値(価格)の喪失あるいは減少は、現実に発生したというべきであつて、右受傷と同時に具体的な逸失利益についての損害賠償請求権も発生したというべきである。

従つて、この点からしても、受傷後の後発的事情(自殺等)は逸失利益算定にあたり、考慮すべきではない。

以上のとおりであるので、本件においても、充義の後遺障害に基づく逸失利益については、充義の自殺を考慮することなく、少なくとも、症状固定時から充義の就労可能年令(満六七歳)までの全額についての損害賠償請求権が、充義死亡時には発生していたのであり、原告らは充義の右損害賠償請求権を相続により承継した。

なお、右仮定的主張においては、葬儀費用は損害として請求しない。

5  被告興亜火災及び同東京海上の責任

(一) 被告興亜火災は本件事故以前に加害車両につき、被告後藤との間で自動車損害賠償責任保険契約を締結した。

加害車両の保有者である被告後藤には、前記のとおりの損害賠償責任が発生したのであるから、自動車損害賠償保障法第一六条にもとづき、未払保険金額一〇〇〇万円の限度で原告らに保険金を支払う義務がある。

(二) 被告東京海上は本件事故以前に加害車両につき被告後藤との間で自動車対人賠償保険契約(以下「本件任意保険契約」という。)を締結しており、被告後藤には前記のとおりの損害賠償の責任が発生した。

本件任意保険契約では、被告後藤の損害賠償責任が確定判決により確定した場合には被告東京海上は、被告後藤に対して保険金額の限度で損害保険金支払義務を負担する約定となつているが、被告後藤は、無資力であるから、原告らが被告後藤に代位して被告後藤の被告東京海上に対する右保険金支払請求権を行使する。

6  よつて、原告山村和房は、被告後藤に対し、損害賠償金二六二二万九〇三一円及びこれに対する不法行為の日である昭和五七年一月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告興亜火災に対し、未払保険金額の二分の一にあたる五〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和五七年一月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告東京海上に対し、被告後藤に対する本判決が確定したときは被告後藤に代位して二六二二万九〇三一円の保険金及びこれに対する不法行為の日である昭和五七年一月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

原告山村はつは、被告後藤に対し、損害賠償金二六二二万九〇三一円及びこれに対する不法行為の日である昭和五七年一月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告興亜火災に対し、未払保険金額の二分の一にあたる五〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和五七年一月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告東京海上に対し、被告後藤に対する本判決が確定したときは被告後藤に代位して二六二二万九〇三一円の保険金及びこれに対する不法行為の日である昭和五七年一月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)ないし(四)、(六)の各事実は認める。同1(五)の事実につき被告興亜火災は争い、被告後藤、同東京海上は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3は争う。

本件事故と充義の自殺との間には、相当因果関係がない。

原告らは、充義が重い後遺障害を負い、これが充義の自殺の動機となつた旨主張するが、同人が本件事故により、何等かの後遺障害を残したとしても、自殺に結びつくような重いものではなかつたはずであり、その間に必然性は勿論、相当因果関係も存在しない。

仮に、充義の自殺の原因が本件事故による後遺障害にあつたと仮定しても、それは、同人の性格等、主観的な原因及び周囲の状況等、加害者側の与かり知らない特別の事情に基づくものであるから、相当因果関係の範囲外にあるというべきである。

4  同4の事実につき被告興亜火災は同(一)、(二)(9)の各事実、(二)(7)の事実中原告両名は充義の父母であり充義には他に相続人がいないことは認め、その余はいずれも争い、被告後藤、同東京海上は同(一)、(二)(1)、(2)、(9)の各事実、(二)(6)の事実中充義が本件事故当時早稲田大学第二文学部二学年に在籍する健康明朗な男子であつたこと、(二)(7)の事実中原告両名は充義の父母であり充義には他に相続人がいないことは認め、その余はいずれも争う。

充義は、死亡当時大学三年生のはずであるから、就労は早くとも一年三ヶ月後であり、就労可能年数は二三歳から六七歳までの四四年間としたうえで、就労開始までの一年間の中間利息を控除すべきである。

5  同5の事実中被告興亜火災が本件事故以前に加害車両につき被告後藤との間で自動車損害賠償責任保険契約を締結したこと、被告東京海上が本件事故以前に加害車両につき被告後藤との間で本件任意保険契約を締結したこと、本件任意保険契約においては被告後藤の損害賠償責任が確定判決により確定した場合には被告東京海上が被告後藤に対して保険金額の限度で損害保険金支払義務を負担する約定となつていることは認めるが、その余はいずれも争う。

三  抗弁(被告後藤及び同東京海上)

本件事故については、充義にも、次のような過失があるので、過失相殺を主張する。

すなわち、同人は、自動二輪車を運転し、時速約五〇キロで本件道路左側を進行して事故現場に差し掛かつたが、同所では、先行車である被告後藤運転の加害車両が左折のため、左側方向指示灯を点滅させつつ、時速約二〇キロで減速走行中であつたから、同車の動静に細心の注意を払い、充分、自車の安全を図つて進行すべきであつた。例えば、減速又は徐行して、加害車両の左折を待つとか、或いは右に進路を変更して同車を追い越すとかすべきであつたのである。それにも拘らず、充義はこれを怠り、慢然同一速度のまま、加害車両を左側から追い越し、又は追い抜こうとした過失により、自車の右側面を加害車両の左前部に接触させ、その反動により、左前方歩道上に逸走し、結局電柱に激突して、重傷を負つたものである。両車の接触自体は、軽微であつたから、もし、充義運転の自動二輪車の速度が遅かつたとしたら本件のような逸走及び激突は起きなかつた筈であり、この点においても充義の重い過失がある。

四  抗弁に対する認否

争う。本件事故における衝突前の被告後藤運転の加害車両と充義運転の自動二輪車の位置関係は、その衝突の部位からすると、被告後藤が左折を開始する直前には充義の自動二輪車はかなり被告後藤運転の加害車両に接近していたといえる。また、充義の自動二輪車はマフラーを取りかえてあり、かなり大きなエンジン音が出でいたのであるから、被告後藤は充義の自動二輪車に容易に気づいたはずであつた。それにもかかわらず、被告後藤が充義の自動二輪車と衝突したのは、同被告が道路右側のガソリンスタンドに気を取られて、本件事故現場の交差点を左折する際、自車の左後方の安全を殆ど確認せずに左折進行したことによるのである。

従つて、本件交通事故は専ら被告後藤の過失によつて起こされたものであるから、過失相殺をすることは相当でない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1(一)ないし(四)、(六)の各事実は当事者間に争いがない。同1(五)の事実は原告らと被告後藤、同東京海上との間には争いがなく、〈証拠〉によれば充義は本件事故により頭部外傷(脳内血腫、脳挫傷)、左鎖骨骨折、両膝部挫傷の各傷害を受けたことが認められる。

二請求原因2の事実は当事者間に争いがない。

三請求原因3の事実について検討する。

1  右争いのない各事実、右認定事実、及び〈証拠〉によれば以下の事実が確定される。

(一)  充義は、昭和三五年四月二五日、原告山村和房、同山村はつの長男として出生し、昭和五四年三月埼玉県立春日部高等学校を卒業後一年間浪人し、昭和五五年四月私立早稲田大学第二文学部に入学した。同人は、大学入学後東京都杉並区内に下宿し、昼間はアルバイトや身障者のためのボランティア活動を行い、夜間は大学へ通つていた。なお、充義は本件事故にあうまで心身とも健康であつた。

(二)  充義は、昭和五七年一月二日午後二時一〇分頃、原告両名宅へ自動二輪車で帰る途中本件事故にあつた。

(三)  充義は、本件事故直後埼玉県戸田市本町一―一九―三所在の戸田中央総合病院に搬送されたが、痛みに対し少し反応するものの意識がなく、大宮赤十字病院へ同日午後四時三〇分頃搬送され、それ以降同病院脳外科に同年四月一〇日まで入院した。

(四)  充義は、本件事故により、頭部外傷(脳内血腫、脳挫傷)、左鎖骨骨折、両膝部挫傷の各傷害を受けた。充義の脳挫傷の部位は必ずしも明らかではないが、脳幹部に損傷があつたことには疑いがなく、昭和五七年九月一七日、大宮赤十字病院脳外科における検査により中程度の脳室拡大が発見された。

(五)  充義には、右各傷害のためその後右半身不全麻痺、右半身感覚低下、記憶障害、言語障害、右動眼神経麻痺及び両滑車神経麻痺による複視、右動眼神経麻痺による右瞳孔の中等度散大、軽度の下転障害等の症状があらわれた。

(六)  充義は、昭和五七年二月二一日頃意識はほぼ清明にまで改善されたが、当時依然歩行はもちろん起居動作はままならなかつた。

(七)  充義は、昭和五七年三月末頃、独歩歩行はなんとか可能な状態にまで回復したが、依然前記(五)記載の各症状は存在していた。

(八)  充義は、大宮赤十字病院へ入院中の昭和五七年四月七日、同病院眼科の柳田泰医師の診察を受けたところ、右動眼神経麻痺が認められたが、同医師は経過を観察することにした。

(九)  充義は、昭和五七年四月一〇日、同病院を退院した。

(一〇)  充義は、昭和五七年四月一二日、リハビリテーションによる機能回復をはかる目的で長野県小県郡丸子町所在の鹿教湯病院へ入院した。

(一一)  同病院に入院した当時、充義は歩行が極めて不安定で、付き添いを付ける必要があつた。

(一二)  同病院において充義に対して行われたリハビリテーションは、理学療法科における起立、歩行障害に対する訓練、作業療法科における右上肢の失調症に対する訓練、言語療法科における失調性の構音障害に対する訓練が主であつた。

(一三)  充義は、鹿教湯に入院中右リハビリテーションを受け、その結果歩行能力の安定が得られたこと、中間位の保持がいくらか安定したこと、記憶が若干回復したこと、言語障害、右上肢の失調症が若干改善されたことなどの効果があがつた。

(一四)  充義は、昭和五七年七月三日、鹿教湯病院を退院した。しかし、充義には当時前記(五)記載の機能障害が存在し、その具体的内容は以下のとおりであつた。

(1) 歩行 右足を外側に輪を描くような形で動かし、かかとを床または地面にたたきつけるようにしながらゆつくりと一キロメートル位歩行可能であるにすぎなかつた。

(2) 走行 跳びはねるような形で一〇ないし二〇メートル位走行可能であるにすぎなかつた。

(3) 書字 右手の巧緻運動に障害があり、右手書字は仕事をするには実用的でなく、左手書字は速度が遅かつた。

(4) 運搬 重量のある物の運搬は二〇キログラム程度の物が可能であるにすぎなかつた。

(5) 構音障害 軽度の障害があつた。

(6) 記憶障害 逆行性健忘があり、高校時代の友人は全部思い出したが、大学時代の友人は思い出せなかつたり、友人であることはわかるがどういう経過で友人になつたか思い出せないことがあつた。

(一五)  充義の鹿教湯病院における主治医であつた牧下英夫医師は、充義の機能障害は退院時ほぼ固定に近く、後は訓練により能力障害を改善することが可能であると判断し、充義にその旨告げた。同医師によれば、充義は前記機能障害のため単身での生活はなんとか可能であるが、ラッシュ時の通勤は困難で、会話を主とする職業、文字を速く書くことを要求される職業、体を使つて物を運んだり製作したりする職業につくことは困難であつた。

(一六)  充義は、鹿教湯病院に入院中の昭和五七年五月一九日、同病院精神科で診察を受けた。充義を診察した同科田中医師は充義を軽度人格障害と診察した。右障害は本件事故による頭部外傷によるものと認められる。その他、充義は同病院に入院中表情が乏しく抑うつ的な状態であることがあつた。

(一七)  充義は鹿教湯病院を退院した後自殺するまで原告両名宅で生活し、歩行、走行訓練、発声訓練、書字訓練などの機能訓練の他、食事の仕度、大学への復学をめざした勉強などを自主的に行つた。しかし、幾分障害には慣れたものの、機能の回復はほとんど認められず、右半身不全麻痺、右半身感覚低下、記憶障害、言語障害、右動眼神経麻痺及び両滑車神経麻痺による複視、右動眼神経麻痺による右瞳孔の中等度散大、軽度の下転障害の後遺障害が残つた。そして、これらの各障害は脳の器質的障害(中程度の脳室拡大、脳幹部損壊)によるものであつた。

(一八)  右後遺障害は、充義の鹿教湯病院退院後の日常生活に次のように発現した。

(1) 身体障害

充義の歩行及び走行はあいかわらず不自由で、また脳障害による平衡感覚の不良のため家の中を歩いてもバランスを崩し、よくよろけた。さらに、充義は本件事故後インポテンツになつたことを原告山村和房に話し、嘆いていた。

(2) 記憶障害

充義の逆行性健忘はほとんど改善されなかつた。充義は機能訓練も兼ねて昭和五七年一一月二〇日から同年一二月一九日まで早稲田大学へ通い一学年の講義を聴講し勉強しようとしたが、いくら勉強しても頭に入らず、友人と話しても話がかみあわなかつた。このため、充義は初めて自己の記憶障害の大きさを痛感した。

(3) 視覚障害

充義は、昭和五七年九月二八日及び一〇月三〇日、前記柳田医師の診察を受け、同年一〇月二九日には大宮赤十字病院眼科において検査を受けた。しかし、同年四月七日の診察時と比べ、格別改善は見られなかつた。同医師によれば、複視の手術を行うことによつて第一眼位については多少改善される可能性はあるが全快する見込はなく、第一眼位以外については改善は不可能で、かえつてずれが強くでてくることがありうる状態であつた。

昭和五七年一〇月三〇日、充義は、柳田医師に対して片方の眼で物を見ても複視がでるという単眼複視を訴えた。ところで、複視は両眼で物を見た場合に初めておきるもので、単眼複視ということは医学上ありえない症状である。充義は、単眼複視を訴えたことでもわかるように当時かなり神経質になつていた。

充義は、前記障害中特に複視を気にし手術を受けたいとの強い希望を持つていたが、同医師は手術を行つても全快するものではなく充義がかなり神経質な状態で手術を直ちに行つても充義の納得が得られるか疑問であつたため手術の実施を見合わせしばらく様子を見ることにした。柳田医師から手術を直ちには行わないと聞かされた充義はひどく落胆した。

(一九)  充義は、鹿教湯病院退院後大宮赤十字病院脳外科に一ヶ月に二回程度通院し、同病院榎田雅夫医師の診察を受けていたが、同医師からもうこれ以上改善は望めないから通院する必要はない旨告げられ、昭和五七年一一月三〇日を最後に通院を中止した。

(二〇)  充義は、昭和五七年七月六日から同年一一月三〇日までの間、同病院脳外科に実日数一一日間通院して治療を受け、さらに同年一〇月一四日には東京都新宿区水道町二四番地所在の岡村病院において岡村豊治医師の診察を受けた。

(二一)  充義は、鹿教湯病院退院後ふさぎこみ家族とも話をしないことが多くなり、柳田医師の診察を受けた昭和五七年一〇月三〇日頃から右状態は特にひどくなつた。

(二二)  充義は、昭和五七年一一月一五日、自宅において左手で出刃包丁を持ち右腕の動脈をねらつて切りつけ自殺を計つたが、傷が浅く、さらに原告山村はつがすぐに発見し手当を受けさせたので幸い未遂に終つた。

(二三)  自殺未遂後、原告両名と充義はこれからの生活設計等について話し合い、充義は前記のとおり早稲田大学へ通学してみたが、同大学がロックアウトになり通学できなくなり自宅にいるようになると、充義は再びふさぎこむことが多くなり自分の部屋の外へあまり出なくなつた。

(二四)  充義は、昭和五七年一二月二七日午前九時三〇分頃、自宅物置裏で縊首により死亡した。

2 以上に確定した事実を総合勘案し、充義の蒙つた傷害と自殺との間の相当因果関係について以下検討する。

(一) 充義は、本件事故により身体の重要部分である頭部に外傷(脳内血腫、脳挫傷)を受けたこと、脳挫傷の部位は必ずしも明らかではないが脳幹部に損傷があつたことは疑いなく中程度の脳室拡大が認められた。充義は治療、リハビリテーションを受けたにもかかわらず脳の器質的障害にもとづき右半身不全麻痺、右半身感覚低下、記憶障害、言語障害、右動眼神経麻痺及び両滑車神経麻痺による複視、右動眼神経麻痺による右瞳孔の中等度散大、軽度の下転障害の各後遺障害が残つた。充義はこれらの各機能障害のためラッシュ時の通勤は困難で、会話を主とする職業、文字を速く書くことを要求される職業、体を使つて物を運んだり製作したりする職業につくことは困難となつた。充義は本件事故前東京都杉並区内に下宿し早稲田大学第二文学部に通つていたが本件事故による障害、とくに記憶障害のため大学での学業を続けることは困難となつた。充義は鹿教湯病院に入院中軽度人格障害と診断されたが、同病院を退院後ふさぎこむことが多くなり、とくに気にしていた複視について直ちには手術を行わないと柳田医師から聞かされひどく落胆した。

(二) これらの状況の中で、充義は将来に対する不安を増悪して神経衰弱状態に陥りうつ病類似の病状の中で自殺に及んだことが推認され、従つて充義の自殺の主な原因は本件事故にもとづく傷害と後遺症にあつたものと認めるが相当である。

(三) 一般に、自殺による死亡が、交通事故により通常生ずべき結果に当たらないことはいうまでもない。しかし、自殺による死亡について、事故に基づく傷害ないし傷害の部位あるいは程度いかんによつては、予見不可能な事態とはいえず、右事情を予見し、或いは予見することを得べかりしときは、特別の事情によつて生じた損害として、加害者は死亡によつて生じた損害をも賠償する責を負うものと解される。

(四) 本件において、前記認定のとおり、充義は早稲田大学第二文学部に在学する心身とも健康な青年であつて、本件事故によつて被つた傷害の部位は頭部外傷(脳内血腫、脳挫傷)と誠に重大であり、右後遺障害特に記憶障害のため大学での学業を続けることが困難となつた状況の中で将来に対する希望や意欲を失い、うつ病類似の精神状態に陥り自殺に及んだことは、無理からぬものがあると認められ、しかも、一回自殺未遂を経験していることも考慮すると、充義が右傷害及び後遺症にもとづき自殺に及ぶことは予見可能な事態というべきである。よつて、本件において、本件事故と充義の死亡との間には相当因果関係があるものというべきである。

(五) もつとも、自殺の場合、程度の差はあつても通常本人の自由意思により命を断つという一面があることは否定できないところであり、本件においても、充義が全く自由意思を失つた状態で自殺したものとは認められないことは前記認定のとおりであるから、このような場合に、自殺による損害のすべてを加害者側に負担させることは、損害を公平に分担させるという損害賠償法の理念からみて相当でないものというべきである。

そこで、民法七二二条所定の過失相殺の法理を類推適用し、自殺に対する充義の自由意思の関与の程度を斟酌して加害者側の賠償すべき損害額を減額するのが相当であると解されるところ、前記認定の諸事情を総合勘案すれば、充義の死亡による損害についてはその五割を減額するのが相当である。

四請求原因4の事実について検討する。

1  請求原因4(一)の事実は当事者間に争いがない。

2  同4(二)(1)の事実は、原告らと被告後藤、同東京海上との間では争いがなく、〈証拠〉によれば、治療費として戸田中央総合病院に八万七六六二円、大宮赤十字病院脳外科に五〇〇万二五二〇円、同病院眼科に三万八四六〇円、鹿教湯病院に二〇四万二五四〇円、岡村病院に一万八〇〇〇円、以上合計七一八万九二〇二円を支払つたことが認められる。

同4(二)(2)の事実は、原告らと被告後藤、同東京海上との間では争いがなく、前記認定のとおり充義の入院日数は合計一八二日であり、〈証拠〉を総合すれば入院雑費として少なくとも一日八〇〇円、合計一四万五六〇〇円を支出したものと認められる。

3  同4(二)(3)の事実について検討するに、〈証拠〉を総合すれば充義は大宮赤十字病院へ入院中の昭和五七年一月二日から同年四月一〇日までの間、鹿教湯病院へ入院中の昭和五七年四月一二日から同年五月六日までの間それぞれ付添看護が必要であつたこと、昭和五七年一月一二日有限会社浦和看護婦家政婦紹介所所属の小田某に付添看護料として六九八五円を支払つたこと、それ以外は原告両名らが付添つたこと、家族による付添看護料としては一日三五〇〇円が相当であることが認められるから、付添看護料として計四四万〇九八五円の損害が生じたことが認められる。

4  同4(二)(4)の事実について検討するに、〈証拠〉を総合すれば、交通費として合計一一万〇二七〇円の損害が生じたことが認められる。

5  同4(二)(5)の事実について検討するに、前記のとおり充義は昭和三五年四月二五日生まれの健康な男子で本件事故当時早稲田大学第二文学部二学年に在学していたもので、弁論の全趣旨によれば、本件事故にあわなければ昭和五九年三月に卒業し同年四月から稼動し、少なくとも同月から満六七歳までの四四年間稼動可能であり、昭和五七年賃金センサス第一巻第一表、産業計、企業規模計、旧大・新大卒の男子労働者平均賃金の年間給与額四五六万二六〇〇円の収入額を得ることができたものと推認されるので、これを基礎として生活費として五割を控除し、さらにライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し、さらに充義が死亡したのは就労開始時期と推認される昭和五九年四月の約一年三ヶ月前の昭和五七年一二月二七日であるから就労開始時期までの一年間の中間利息を控除して充義の死亡時における逸失利益の現価を算定すると次の計算式のとおり、その合計額は三八三七万六〇二八円(円未満切捨)となる。

456万2600円×(17.774−0.952)×0.5

=3837万6028円

そして、充義の死亡による損害について、過失相殺の類推適用により五割の減額をするのが相当であることは前示のとおりであるから、右認定の逸失利益から五割を減額すると、残額は一九一八万八〇一四円(円未満切捨)となる。

なお、原告らは充義は本件事故当時大学在学中であつたが、就労の意思、能力、時間的余裕を有していたし、現にアルバイト等で学資、生活費を得ていたものであるから、逸失利益の計算において就労可能年数を充義の死亡時から起算しても何ら不合理はないと主張するが、前記のとおり充義は本件事故当時昼間ボランティア活動とともにアルバイトを行つていたことは認められるが、右アルバイトによる収入の額は本件全証拠によるも認定することはできず、充義の逸失利益の算定について就労可能年数を充義の死亡時から起算するという原告の主張は採用できない。

6  同4(二)(6)について検討するに、前記認定の充義の年齢、境遇、入通院の期間、状況、後遺症の程度、後遺症固定の時期、死亡に至る経緯、その他諸般の事情を斟酌すれば、同人の入通院慰藉料としては三〇〇万円、後遺症慰謝料としては二〇〇万円、死亡による慰謝料としては一〇〇〇万円が相当であるところ、前記5と同様死亡による慰謝料については五割を減額すると、残額は五〇〇万円となる。

7  同4(二)(7)について検討するに、成立に争いのない甲第一九号証、第二〇号証の一ないし一六、原告山村和房本人尋問の結果によれば原告各自は充義の葬儀費として二〇万一二五三円(円未満切捨)を支出したことが認められる。

五抗弁(過失相殺)について

前記確定事実、〈証拠〉によれば、充義は自動二輪車を運転し時速約五〇キロメートル強の速度で埼玉県戸田市上戸田一丁目二番二号先一七号国道の交通整理の行われていない三叉路交差点に差し掛つたが、同所では、先行車である被告後藤運転の加害車両が左折するため左折方向指示灯を点滅させつつ時速約二〇キロメートルで走行中であつたから、同車の動静に注意を払い、充分自車の安全を図つて進行すべきであつたにも拘らず、これを怠り、慢然同一速度のまま、加害車両を左側から追いこそうとした過失により、自車後部の右方向指示灯を加害車両の左フロントフェンダーに接触させ、その反動により自動二輪車は左前方歩道に逸走し縁石にぶつかり、その衝撃により充義は自動二輪車から分離し電柱に頭部を強打させ前記頭部外傷を負つたことが確定される。

右確定された充義の過失内容、程度を考慮すると、前記四記載の損害の一〇パーセントを過失相殺するのが相当である。

六原告らの損害

原告ら両名が充義の父母であり充義には他に相続人がいないことは当事者間に争いがなく、従つて原告両名は法定相続分に応じ充義の取得した損害賠償請求権を相続によつて取得したこととなり、これに原告両名独自の損害(前記四7)を加えると、原告各自一六八六万四四五八円の損害賠償請求権を有することになる。

七損害の填補

充義が生前被告東京海上から七三二万四三六七円の支払を、原告各自が被告興亜火災からそれぞれ五〇〇万円ずつの支払を受けたことは当事者間に争いがない。

八弁護士費用

原告らが本件訴訟代理人らに本訴の追行を委任したことは弁論の全趣旨により明らかであるところ、本件事案の難易、審理経過、本件認容額等に鑑み、本件事故と相当因果関係を有するものとして、請求しうべき弁護士費用の額は、原告ら各自九〇万円とするのが相当である。

九被告興亜火災及び同東京海上の責任(請求原因5について)

被告興亜火災が本件事故以前に加害車両につき、被告後藤との間で自動車損害賠償責任保険契約を締結したこと、被告東京海上が本件事故以前に加害車両につき被告後藤との間で本件任意保険契約を締結したこと、本件任意保険契約では被告後藤の損害賠償責任が確定判決により確定した場合には被告東京海上は被告後藤に対して保険金額の限度で損害保険金支払義務を負担する約定となつていることは当事者間に争いがない。

被告興亜火災の責任について検討するに、加害車両の保有者である被告後藤には以下の計算式(円未満切捨)のように原告ら各自に対し九一〇万二二七五円の損害賠償責任が発生した。

〔(718万9202円+14万5600円+44万0985円+11万0270円+1918万8014円+300万円+200万円+500万円)×0.9×0.5〕+(20万1253円×0.9)=1686万4458円

1686万4458円−366万2183円−500万円+90万円=910万2275円

従つて、被告興亜火災は、自動車損害賠償保償法第一六条に基づき、未払保険金額の限度で原告ら各自に対し五〇〇万円を支払うべき義務がある。

被告東京海上の責任について検討するに、前記乙第七号証、弁論の全趣旨によれば被告後藤は原告両名に対し各自九一〇万二二七五円を弁済するに足りる資力はないことが認められる。

従つて、原告らは被告後藤に対する本判決が確定したときは被告後藤に代位して被告後藤の被告東京海上に対する右保険金支払請求権を代位行使しうる。

一〇結論

以上によれば、原告ら各自は、被告後藤に対し、九一〇万二二七五円及びこれに対する不法行為の日である昭和五七年一月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める権利がある。さらに、原告ら各自は、被告興亜火災に対し、五〇〇万円及び被告興亜火災が原告らから履行の請求を受けた日であることが当裁判所に顕著な昭和五八年一一月二一日(本件訴状送達の日)の翌日である同月二二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める権利がある(最高裁判所第一小法廷昭和六一年一〇月九日判決・判例時報一二三六号六五頁参照)。そして、成立に争いのない乙第三〇号証によれば、被告東京海上が損害賠償請求権者に対して支払う損害賠償額は被保険者が損害賠償請求権者に対して負担する法律上の損害賠償責任の額が基準となるところ、被告後藤は、原告ら各自に対し九一〇万二二七五円及びこれに対する不法行為の日である昭和五七年一月二日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務を負担すること前記のとおりであるから、被告東京海上も同額の支払義務を負担するものと解されるので原告ら各自は、被告東京海上に対し、原告らの被告後藤に対する本判決の確定を条件として、九一〇万二二七五円及びこれに対する不法行為の日である昭和五七年一月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める権利がある。

従つて、原告らの被告らに対する本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、被告らに対するその余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官菅野孝久 裁判官田中哲郎 裁判官窪木稔)

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